Negative capability / MACHIDA TETSUYA SOLO

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“Negative capability” (John Keats 1795 – 1821)
MACHIDA TETSUYA SOLO – Negative capability –
2015 032815 ~ 051015
Open : every sat, sun & holiday 18 DAYS / 13:00 – 17:00
Admission fees ¥500 / Sell works and catalog
@ FLATFILESLASH_GALLERY
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町田哲也 展 - ネガティブ・ケイパビリティ –
2015年3月28日〜5月10日
毎 土・日・祝日 午後1時〜5時
入館料¥500 / 作品・カタログ販売
於:フラットファイルスラッシュ_倉庫ギャラリー
平日観覧ご希望の場合お電話ください。調整します。
080-5514-6063 (Inquiry:machida)
http://machidatetsuya.com/2015/negativecapability.html >>
nc2015solo-wlist.pdf >>
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 おそらく終生の生存環境を得た2011年から都度の現在とこれまでを振り返り、自身と環境を含めた上での、藝術と思想を愚図愚図思索している。様々な状況が刻々と流れる社会に在って、個人的には素材論としても手法論としても特出すべきことはなく、むしろ意識の脇でふつふつと生成してきた固有系譜の時間論的なものを意識せざるを得ない時を迎えているように思う。できることをおこなって、その表出から更に鍛錬されるものを探索したいのが本音であり、他意はない。
 詩人ジョン・キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」を、企画のサブタイトルに決めたのは、不確かさに触れ続ける個人的な気持ちの反映であり、演繹的に概念の再認識を示すことではない。付記しておくとすれば、多くの現代詩に触れている現在が、冬の制作に投影されている。
 ほぼ三ヶ月制作に没頭した老いの淵にて気づいたことは、私にとってこうした探求は、享楽的なことではなく、北へ向かう言わば「極北」の凍りつくかの排他性を棄てきれないという感触と、その価値だった。
 観覧者に対して入場料を徴収することにしたのは、こうした展開(売れるわけではない作品販売では企画の営みをすべて賄うことは不可能である)を自立させる為の責任として、常識的な現在の倫理に照らされた結果であり、スポンサーや助成やパトロン、ギャラリスト・学芸員などが介在しない場合、類希な形態ではないと判断した。
 2014年暮れにフラットファイルのモリヤ君と恊働での使用展開を決めた、FFSという倉庫ギャラリーの使い方を、主催者が率先して示してから、活用の可能性の幅を広げたいと加えて考えている。

文責 / 町田哲也

追記 / 25/March.2015

 単なる倉庫を展示空間に仕立てる為に、春の企画に乗じて床や壁を相応に準備するつもりだったが、制作が瀬戸際迄時間と肉体と精神を切迫し、そのような余裕がなくなった。会期を週末と祝日に限ったので、開催後の平日を利用し、仕立てを慌てた仮設とするより、展示空間の検証の時間を経て、慌てずに取り組むことにした。空間の仕立て次第で作品の有り様は随分変わるけれども、倉庫というゼロの状態に併置させる為の作品設置の工夫は幾つか試みている。そもそもホワイトキューブという無菌空間で純潔を示すという環境の成立を無視した指向に関心はあまりないので、場所の草臥れた空間そのものをトポスという場所性で問う、種植えのような作業は、作品自体の併置で示すことが、個人的には謙虚な態度と考えている。


-キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」の理論は1817年12月21日日曜日付けの弟宛ての書簡に表明されている:
私はディルクにさまざまなテーマで論争ではないが長い説明をした。私の心の中で数多くのことがぴたりと符合しハッとした。特に文学において、人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。

Negative capability

I had not a dispute but a disquisition with Dilke, upon various subjects; several things dove-tailed in my mind, and at once it struck me what quality went to form a Man of Achievement, especially in Literature, and which Shakespeare possessed so enormously – I mean Negative Capability, that is, when a man is capable of being in uncertainties, mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact and reason – Coleridge, for instance, would let go by a fine isolated verisimilitude caught from the Penetralium of mystery, from being incapable of remaining content with half-knowledge. This pursued through volumes would perhaps take us no further than this, that with a great poet the sense of Beauty overcomes every other consideration, or rather obliterates all consideration.
– Keats, John (1899). The Complete Poetical Works and Letters of John Keats, Cambridge Edition. Houghton, Mifflin and Company. p. 277.

– wiki

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